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Essay

エッセイ|「バッハを辿る」Vol.2 平均律クラヴィーア曲集第1巻演奏会

2019年12月7日(土) @美竹さろん「バッハを辿る」Vol.2 平均律クラヴィーア曲集第1巻演奏会
プログラムノートより
チラシ

プログラム
平均律クラヴィーア曲集第1巻(全曲)
(24の前奏曲とフーガ BWV846-BWV869)

ハ長調(4)/ハ短調(3)/嬰ハ長調(3)/嬰ハ短調(5)
ニ長調(4)/ニ短調(3)/変ホ長調(3)/変ホ短調(嬰ニ短調)(3)
ホ長調(3)/ホ短調 (2) /ヘ長調(3)/ヘ短調(4)

〜intermission〜

嬰ヘ長調(3)/嬰ヘ短調(4)/ト長調(3)/ト短調(4)
変イ長調(4)/嬰ト短調(4)/イ長調(3)/イ短調(4)
変ロ長調(3)/変ロ短調(5)/ロ長調(4)/ロ短調(4)

*括弧はフーガの声部数

プログラムノート

ヨハン・セバスティアン・バッハは音楽教育に並々ならぬ熱意があった。そこには、彼が早くに両親を亡くし、大学進学をあきらめた事実も反映している。バッハ一家は音楽家系であったから、音楽に接し、吸収するチャンスは学校に行かずともあったが、大学に行くことが後の就職にかなり影響することはあったようだ。ヨハン・セバスティアンは18歳の頃から就職活動に精を出しているが、かなり苦労をしている。絶えず給料の良いところを求めて点々と職場を変えなければならなかったことは、自らの受けた出自も影響していないとはいえない。
結婚し、父親として、彼は何人もの息子たちの音楽教育を施すことになる。彼には弟子がたくさんいたが、その第1号は自分の子供たちであったのだ。彼らを大学に行かせてやり、就職活動への便宜を取り計らってやったりもした。音楽家として大成した息子たちもいる。そのために、まず与えたものは、やはり自分の音楽だった。そしてその音楽は、やがては未来の知らぬ人々のためにとなってゆくのである。
バッハの音楽、とくに鍵盤楽器のためのものは教育を念頭につくられたものである。「インヴェンションとシンフォニア」には、"クラヴィーアの愛好家、とりわけ学習希望者のための正しい手引”という自身による序文があるし、「ゴルドベルク変奏曲」を含む一連の作品は、「クラヴィーア練習曲集」という名がうたれている。おそらくバッハの鍵盤楽曲は、ほとんど演奏会のための音楽というものはなく、音楽に習熟し、一人前の音楽家になるために作られたものだった。
「平均律クラヴィーア曲集」も同様で、この曲集の序文には”意欲旺盛な音楽青年の有益な利用に、さらにはこの道において既に能力ある人のための特別な愉しみに供されるよう。”と書かれている。
それらの残された僅かな言葉には、自分の芸術を後代に伝えてゆきたいというバッハの願いが感じられるのである。 
バッハの創作は、ある期間に集中して限られたジャンルの作品が作られていることが多い。18歳にして教会のオルガニストになり、ワイマール宮廷楽師となる20代のころには、多くのオルガン曲が生み出され、またカンタータも常に生み出されていた。ワイマールの次の赴任地であるケーテンでは、バッハの創作はもっぱら器楽曲中心となってゆく。バッハはこの地では〈宮廷楽長〉という地位となり、専属楽団をとりまとめる役目となったのだが、この器楽奏者たちの演奏に感化されたといってもいいかもしれない。「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」、「無伴奏チェロ組曲」、「ブランデンブルク協奏曲」など、すべてこの時代の所産である。そしてこの時代はカンタータやオルガン曲の作曲にはほとんど手を付けられていない。
オルガン曲の代わりというわけではないが、鍵盤楽器のための作品たちがこの時代に登場してくる。「平均律クラヴィーア曲集第1巻」は、その最も代表格に挙げられる作品である。

平均律クラヴィーア曲集について

この曲集は英語ではThe Well-tempered Clavier といい、日本語に訳せば、「よく調律されたクラヴィーア」という風にいうことができる。「よく調律された」というのは、当時調律法には様々な種類があって、その中で、最も誤差の少ない調律法=「平均律」を指すのである。クラヴィーアは、鍵盤と訳すが、これは特にピアノとかチェンバロ(クラヴサン)のはっきりとした指定があるわけではない。

24の調性
調性音楽(つまり私たちが普段聴いている大部分の音楽)には、24の調性というものがある。ハ長調、ヘ短調、変ト長調、などといわれるものだが、これは1オクターブを12等分することで生まれる12の音、それらを主音とする長調・短調の存在によるものだ。

1オクターブ上の12音
譜例1
1オクターブを12等分することは理論上はできない。どうしても各音ごとの間に誤差が生じてしまい、微妙な差異は生ずるが、それをできるだけ均等に割り振ることで、「平均律」と言われている。
これが何をする時に有効かというと、和音を作る際、例えばドーミーソの和音と、レーファ#−ラの和音(長三和音)の響きが同質なものになり、移調や転調がより自然に行えるようになることだ。和音という要素が根底にある音楽、つまりモーツァルトからワーグナーまで至る音楽にとって、これは大変重要な意味合いがある。これら大部分のクラシック音楽を生み出す要因として、平均律は大前提となっているのである。

楽器について

楽器の性能というものは大変に重要な要素で、例えばヴァイオリンの曲を作る時、ヴァイオリンの仕組みを知ることは必要だ。そこには調性の問題ももちろんあって、ヴァイオリンにとってニ長調はひきやすいが、変イ長調は弾きにくい調性、と言える。これが、鍵盤楽器の場合は1音ごとにひとつの鍵盤が当てはめられているため、奏者の訓練次第でどのような調性でも弾きこなすことが可能になる。だから、作曲家にとって24全ての調で曲を作るという夢は、鍵盤楽器で最も実現性があったのだ。
ただ、鍵盤楽器自体も日々改良を重ねて現在のピアノのような形になっているのであり、バッハの時代には第一「ピアノ」という名前の楽器はなかった。バッハの時代にはオルガンやチェンバロなどの既に「一般化した」鍵盤楽器があったが、チェンバロにおいてはまだ様々な調律法を使い分けるなどの必要があり、全ての調性で弾くためにはまだ様々な課題が残されていた。
当時、バッハが好んだ鍵盤楽器に「クラヴィコード」というものがある。この楽器は、音量面ではチェンバロなどよりも貧弱であったが、音の大きさを指でコントロールできるという点で、現代のピアノにも通じるところがある(チェンバロではできないことだった)。この楽器の有利な点は、あるハーモニーを弾く際、強く鳴らす音と弱く鳴らす音を調節できることで、またフーガのような、主題を特にはっきりと聴かせる必要がある音楽の場合、主題と背景の部分を明確に表現することができることだ。
ピアノはクラヴィコードのメリットを拡充して誕生する楽器となったので、きっとバッハもこの楽器の性能には満足したに違いないと思われる。

プレリュード(前奏曲)とフーガ

平均律クラヴィーア曲集はこの前提により、各々の調性をもつ24曲の作品が並ぶのだが、その1曲ごとに「プレリュード」と「フーガ」という2つが対となっている。

プレリュード「前奏曲」と言われている。名のとおり、前口上のような立ち位置をもつ、自由なスタイルで書かれる曲のこと。この曲集の1番も、一定のリズムを持った分散和音のみによるプレリュードである。

譜例2

フーガは、通常3−4声の声部を持つ対位法的楽曲で、それぞれの声部が順番に主題subjectや応答responseを奏することで音楽が発展し、複雑な声部の絡みや対話が聴かれる。
フーガには厳格な規則があって、その作曲には相当の熟練を必要とする。

譜例3

2つを比べれば、プレリュードはシンプルさ、フーガには複雑さを感じるのではないだろうか。食事メニューに例えれば多くの場合、プレリュードが前菜、フーガは主菜といえる。時には10分に届こうとする長大なものもある。
平均律クラヴィーア曲集第1巻では、プレリュードの方が長大なものになったり、フーガが2声のものや5声のものもあり、非常に多様性を持った世界となっている。


2019.12.07
入川舜

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