Essay
エッセイ|「バッハを辿る」Vol.5〜舞曲I〜
2021年10月2日@美竹さろん「バッハを辿る」Vol.5〜舞曲I〜
プログラムノートより
バッハの鍵盤楽曲は、その殆どが教育的意図のもとに作曲されている。それは、「ゴルトベルク変奏曲」や、「パルティータ」であっても、彼がその前文に、「クラヴィア練習曲」と書き記したことからもうなずける。妻や息子のために、また彼のもとに絶えず集ってくる弟子たちのため、少しでも自分の音楽が役に立つことを祈って、バッハは楽器へ向かっていたのである。
舞曲においても、バッハの基本的な考えは変わらなかったであろうが、なにしろ「舞曲」である。これは、この時代のエンターテイメントであった。人々が踊るために音楽がある。その音楽は…楽しく、「ノリのよい」ものであること。そのような「楽」の側面と、バッハらしい「学」の側面が絶妙にブレンドされた世界が「組曲」としてまとめられている。
バッハの組曲は、「フランス組曲」全6曲、「イギリス組曲」全6曲、「パルティータ」全6曲とあって、それだけで演奏会が6つは出来そうなくらいであるが、まず「組曲」とは何であるかということについて説明しよう。
舞曲には様々な由来があって、地続きのヨーロッパ内においては人々の交流も盛んに行われていたこともあり、ドイツからやってきた舞曲、スペインからやってきた舞曲、イギリスからやってきた舞曲、と様々あったが、それらをまとめて、博覧会のようなかたちでお披露目しよう、という文化が起こってきた(ルイ…世かの時代のフランス。いかにもこの国らしい)。そこで、いくつかの舞曲を連ねて、ひとつにまとめたものが、組曲(Suite)と名付けられた。構成は緩急に富んでおり、早い舞曲の次は遅い舞曲、と見るものを飽きさせないようになっている。
代表的な舞曲(ここではバッハの組曲に組み込まれているもの)を挙げると、
- アルマンド(ドイツ):比較的ゆったりとした動きの舞曲。流麗な動きが特徴的
- クーラント(フランス):快活な舞曲。3拍子と2拍子が交錯するリズム
- サラバンド(スペイン):荘重で、遅い舞曲。3拍子の2拍目で止まるリズム
- ジーグ(イギリス):急速で、陽気な舞曲。音符3つでセットとし、独特なリズムをつくる
などであり、更にガヴォット、ブレー、メヌエット(これらはすべてフランス起源と言われる)などが付け加えられる。
組曲は、こうして貴族たちの娯楽からはじまったのであるが、バロックの音楽家たちは、演奏するものが一人でもこの楽しみを味わうことができるように、独奏楽器のための組曲も創作した。それらは、現在でも音楽家たちの、そしてそれを聞く人々の楽しみとなっているのである。
フランス組曲第5番 ト長調 BWV816
フランス組曲と、後述するイギリス組曲については、その起源ははっきりとはしていないのだが、恐らくバッハがケーテンの宮廷で楽長をしていた時期の創作とされている。フランス組曲については、特に詳細がはっきりせず、残されている弟子たちによる写本の間でも大きな違いがある。つまりこの6曲の組曲は、バッハの中ではある程度不完全なままで放置されてしまったものといえる。しかし、この「フランス風のスタイルで」書かれた愛らしい舞曲の数々は、軽やかさや簡潔さ、率直な気分が支配的で、バッハの豊かな楽想をシンプルに味わうことのできるものとなっている。
第5番ト長調は、バッハの組曲の中でも最も有名なもので、ガヴォットやジーグなど耳にされた方もいるかもしれない。
アルマンド(緩)〜クーラント(急)〜サラバンド(緩)〜ガヴォット(急)〜ブレー(急)〜ルール(緩)〜ジーグ(急)
ガヴォットは急速な舞曲とはいえないが、続くブレーと一対となるので、サラバンドとの対照も踏まえて急とした。また、ルールはゆったりとした踊りだが、バージョンによってはこれが省略される可能性もある。賑やかなブレーとジーグの間に箸休めを挟むかという選択肢である。
イギリス組曲第4番 ヘ長調 BWV809
イギリス組曲はフランス組曲よりも少し前に書かれたとされているが、やはりケーテン時代の産物とされる。こちらはフランス組曲と比べて、構成もより大規模なものとなっているので、バッハも張り切ってこの組曲の創作にあたったのだろう。この6曲の組曲は、”あるイギリス人の名士のために”という献辞が残っていて(フォルケル)、そのためにイギリス組曲という呼称がついたらしい。バッハは一生を通してドイツ国内から出ることはなかったが、バッハの末の息子であるヨハン・クリスティアンは、ロンドンで音楽家として活動を繰り広げるし、バッハと同い年のヘンデルや、後のハイドンなどもイギリスでその名声を馳せたことも考慮すると、ドイツ人には案外イギリスとの親和性があるのかもしれない。
この組曲は、バッハ自身の手によって(フランス語で)「プレリュード付きの組曲」とタイトルが付記されている通り、すべての組曲の冒頭に、プレリュード(前奏曲)が配置される。それらは、皆堂々とした風格を持ち、それだけでも独立して演奏できるくらいのものだ。それに続く種々の舞曲も、重厚な味わいを持ち、フランス組曲のように多様な舞曲が並ぶわけではないが、音楽の集中度がより高くなっている。
第4番の組曲は、ヘ長調という調性からも、明るく快活な性格を持っている。
プレリュード(急)〜アルマンド(緩)〜クーラント(急)〜サラバンド(緩)〜メヌエット(緩)〜ジーグ(急)
イギリス組曲では、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグは6曲すべてに置かれ、サラバンドとジーグの間に、ひとつ何かの舞曲が置かれるという構成となっている。
ちなみに、アルマンド〜クーラント〜サラバンドという3つの舞曲は、ほとんどすべての組曲において冒頭の3曲を構成するものとなっている。サラバンド以降は、かなり自由な構成であり、様々な舞曲が登場してくるが、舞踏会の前半は真面目に、後半は(酒でも入って)陽気でくだけたムードになってきたというイメージで考えていただければよいかもしれない。
パルティータ第2番 ハ短調 BWV826
さて、イギリス組曲とフランス組曲の後に、パルティータ全6曲が登場する。”パルティータ”とは、イタリア語で「組曲」の意であるが、これ以降バッハは連作組曲の創作に手を付けていない。
パルティータ全6曲を、バッハは初めて自分の「作品1」と呼んだ。それは、自分の作品を初めて出版へとこぎつけたということである。1731年、作曲者41歳だった。彼は6曲を「クラヴィーア練習曲」と名付けた。それは、その後もシリーズとして続くが(ちなみに、その第4巻は「ゴルトベルク変奏曲」)、「練習曲」とはっきりと呼んだところに、バッハの強い探究心、勉学への志向、真面目さが現れている。
この6曲はまさに組曲の完成形というもので、フランス組曲のある種の不完全性、イギリス組曲の冗長さが解消され、円熟期のバッハの筆致が冴え渡っている。特に、対位法の扱い方で大きな前進が見られるが、またピアニスティックな側面でも”純粋な鍵盤芸術”――ショパンにも通じるような――にふさわしい洗練を見せていて、いかにバッハがこの組曲に自信を持って「作品1」と発表したのかが理解できるように思える。
「パルティータ」では、イギリス組曲のように大規模な楽章が冒頭に置かれているが、それらは「プレリュード」にとどまらず、「シンフォニア」、「序曲」、「トッカータ」など、様々な呼び名をされている。これらは、バロック音楽の典型的スタイルであった。また、以前からバッハが取り入れていた舞曲に加えて、舞曲とは言い難い名前も登場してくる。「ロンドー」や「カプリッチョ」、「スケルツォ」などは、バッハ以後の作曲家たちも鍵盤楽曲として取り上げるようになる。つまりパルティータは、舞曲の集まりである組曲の概念を超えて、バロック音楽とその後の音楽との橋渡しを担う曲集とも言えるのである。
あまりに内容豊富で「筆舌に尽くしがたい」世界なのであるが、組曲のジャンルにおいても、バッハが「集大成」へと向かっていた、ということをこの小文の最後に書きとどめておこう。
第2番のパルティータは、ハ短調という調性で、厳粛なイメージを持つ(ベートーヴェンの「運命」交響曲やブラームスの第1交響曲に見られるように)。
シンフォニア(序〜緩〜急の3部構成)〜アルマンド(緩)〜クーラント(急)〜サラバンド(緩)〜ロンドー(急)〜カプリッチョ(急)
通常ジーグで締めくくられるのが定石の組曲で、カプリッチョという終曲が置かれるのは異例のことだが、全体を締めくくる明確なフィナーレのような味わいであり、組曲でありながら純器楽曲としての方向性(たとえばソナタのような)がより強いものである。
2021.10.02
入川舜
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