Essay
エッセイ|「バッハを辿る」Vol.8〜インヴェンションとシンフォニア〜
2024年11月29日(金) @美竹さろん「バッハを辿る」Vol.8〜インヴェンションとシンフォニア〜
プログラムノートより
プログラム
J.S. バッハ:インヴェンションとシンフォニア(抜粋)
第1番 ハ長調 BWV 772 / 787
第8番 ヘ長調 BWV 779 / 794
第4番 ニ短調 BWV 775 / 790
第10番 ト長調 BWV 781 / 796
第7番 ホ短調 BWV 778 / 793
第13番 イ短調 BWV 784 / 799
第15番 ロ短調 BWV 786 / 801
第12番 イ長調 BWV 783 / 798
第6番 ホ長調 BWV 777 / 792
第5番 変ホ長調 BWV 776 / 791
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G. リゲティ:ピアノのための練習曲集第1巻より
1.無秩序
3.妨げられた打鍵
5.虹
6.ワルシャワの秋
N. カプースチン:8つの演奏会エチュード Op.40より
1.前奏曲 Allegro assai
2.夢 Moderato
5.冗談 Vivace
7.間奏曲 Allegretto
8.終曲 Prestissimo
プログラムノート
フランス語の「エチュード」という単語は、様々な意味合いがありますが、これを英語に訳すと、Study つまり「勉学」という意味となります。音楽の世界では、エチュードとは、練習曲を指すことが多い。あらゆる楽器の演奏には、それ相応のテクニックを身につける必要があり、まずは指使いや音符の読譜からはじまり、人前で立派に演奏するための技術を磨いていきますが、そのための方法として、練習曲というものが長い歴史の中で絶えず生まれてきました。
ピアノの世界で「練習曲」としてよく知られているのは、ショパンやリストのものでしょう。これらは、ピアノ演奏がひとつの「芸術」として地位を獲得するための、大きな役割を果たしたものといえます。
これに触発されてか、以後、次々とその時代を代表する作曲家たちによって、ピアノのための「練習曲」は作られるようになりました。しかし、既にショパンらによって、技術的な規格に関してはほぼ高みに達してしまったために、それ以降の練習曲は、次第に異なった様相を帯びてきます。
ひとつは、身体に過度の負担を課し、もはや常人には演奏不可能ともいえるような内容となったもの。または、身体的な練習の域を超えて、より抽象的な領域へ接近するような練習曲。
ここに至って、練習曲が作られる意義は、「演奏する者のため」というよりは、「作曲者自身の興味による」ものとなったように思えます。それでも、エチュードという言葉はまた別の意味合いで私達に呈示をしてくれます。「探求」という言葉で。
J.S.バッハ(1685〜1750)の「インヴェンションとシンフォニア」という曲集は、まさに練習曲としての風格を持つ作品と言えます。この作品は、もともと息子であるヴィルヘルム・フリーデマンのために書かれた小品集が、その原型となっていますが、それによって息子が熟達をしていくのを見ながら、バッハは、これを更に自分の弟子たちの教育にも活用できないか、と考えたのでしょう。小品集の中から2声の対位法作品が15曲と、3声のものが15曲、併せて30曲を、独立したひとつの曲集とすることにしたのです。
この曲集には、バッハ自身による巻頭言が付されています。
率直なる手引、これによってクラヴィーア愛好者、ことに学習に意欲を燃やす人々が、(1)2声部をきれいに演奏することを学ぶだけではなく、さらに上達した段階で、(2)3声部のオブリガード・パートの処理を正しく立派に行う明確な方法が示され、あわせて同時に良い着想を案出するのみでなく、それを立派に展開すること、しかし何よりもカンタービレの奏法を身につけること、それに加えて作曲への強い興味と愛好を呼び覚ますことへの指針を掲げるものである。 著作者 J.S.バッハ
アンハルト=ケーテン候宮廷楽長
この文章によって、この曲集の特徴は言い尽くされていますが、少し補足をすれば、バッハの時代、ピアノという楽器はほとんど生まれて間もない時期で、現在の楽器とは比較にならないほどの原始的なものでした。バッハの鍵盤(クラヴィーア)作品において、ピアノが念頭に置かれたとは考えにくいことです。
しかし、バッハの残した巻頭言から明らかなことは、この作品はあらゆる鍵盤楽器の愛好家、ないし学習者に向けられているということでしょう。2声部、更には3声部の「ポリフォニー」を、きれいに演奏すること、「うたう」ことを身につけること、そして良い着想(Invention)をこの曲たちから導き、やがて自ら作曲をする際に役立てること。つまりこれは、指のための練習であり、さらには「よい音楽を創造するための」練習曲ということができます。
2声/3声のそれぞれ15曲が、また多彩な内容を見せ、ひとつとして同じような楽曲は見当たりません。1曲1曲は1,2分のものでありつつも、バッハの会得していた音楽語法がすべて注ぎ込まれている、非常に贅沢な曲集と言えるのです。
現代ではピアノ自体がバッハの頃とは比較にならないほどの進化を見せ、それに準じて音楽も演奏技術も多様化の一途を辿っているので、バッハがこの曲集で意図したことは、地味なものかもしれません。しかし、この小品の持つ慎み深さに今一度耳を澄ませば、そこには何者にも代えがたい音楽の泉が現れるのです。
「インヴェンションとシンフォニア」の曲の配列は、第1番ハ長調から始まり、C-c-D-d-Es-E-e-F-f-G-g-A-a-B-h(ドイツ読み、大文字と小文字は長調/短調)というように、1音づつ上行していく順となっていますが、もともとバッハの息子ヴィルヘルム・フリーデマンの音楽帳に収められた《初版》といえるものではC-d-e-F-G-a-h-B-A-g-f-E-Es-D-c と、ハ長調から上行し、ロ短調を境に下行する順番となっていました。これは恐らく、演奏の難度などを考慮して当初は配列されていたのでしょうが、その後バッハがそれぞれの曲に手を加えたりする中で、最終的な曲順となったと考えられます。
本日は、私自身も久々にインヴェンションに「入門」するということで、2声と3声のそれぞれ10曲、比較的簡明な内容を持っているインヴェンションとシンフォニアを演奏します。
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第1番ハ長調
全曲中もっとも知られているインヴェンション。冒頭の穏やかな主題が右手→左手に模倣される。中間部では反対に。
シンフォニアでは音階の上昇する明快な主題が徹底的に展開される。
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第8番ヘ長調
こちらもよく知られたインヴェンション。右手の音形を左手が模倣するというカノンという技法で作られている。
シンフォニアもインヴェンション同様に、ユーモアを持ったリズムで楽しいものとなっている。
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第4番ニ短調
短調のものではかなり平易なインヴェンションと言える。舞曲のリズムで。
シンフォニアは、半音階と6度の跳躍による表情豊かな主題による。
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第10番ト長調
インヴェンションは分散和音による主題が右手→左手と模倣してゆく。これも舞曲のリズム。
シンフォニアは対照的に、音階のなだらかな動きによる主題。やはり快活な性格を持っている。
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第7番ホ短調
インヴェンションは他のものに比べ、自由な動機の扱い方をされ、より情緒的な面が強調されている。
シンフォニアはフルート、ヴァイオリンなどの上声部に通奏低音が付くトリオ・ソナタを思わせるような多様なニュアンスがある。
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第13番イ短調
第10番と同様に分散和音の主題を持つインヴェンションだが、最初からバスラインが付けられており、そのためか荘重さを持っているようだ。
シンフォニアも、第7番同様にトリオ・ソナタ的な曲。
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第15番ロ短調
ロ短調という調性だからか、いかめしい表情を持ったインヴェンション。
シンフォニアは、9/16拍子という全曲中唯一のリズムを持ったもので、鍵盤楽器的な技巧への興味が表れている。
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第12番イ長調
主題よりも対旋律が動的な異色のインヴェンション。バッハの奔放な面の感じられるもの。
行進曲のようなリズムを持つ主題のシンフォニアも、この調性にふさわしい優美さと親密さを備えている。
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第6番ホ長調
右手と左手のリズムの「ズレ」が特徴的なインヴェンション。前半と後半で繰り返しのある形式も、全曲中では唯一無二である。
シンフォニアは、パストラル的な優美さを持っているが、非和声音や調性の選択にかなり凝ったところのあるもの。
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第5番変ホ長調
左手の対旋律がジグザグと縫いながら音を敷き詰めていくエネルギーに満ちたインヴェンション。
シンフォニアは、最初から最後まで同じリズムによって組み立てられた、これも唯一無二のものである。
ハンガリーの作曲家
ジェルジ・リゲティ(1923〜2006)は、現代音楽の大作曲家のひとりです。その音楽は、非常に複雑な音組織、ハーモニーとリズムで書かれており、演奏者に過酷な要求を突きつけてくるもので、困難に果敢に立ち向かう姿にはバッハというよりも、むしろベートーヴェン的な印象を抱かせます。ただ、その先鋭さによって「前衛」という言葉で片付けられてしまうには、非常に惜しい面があり、少しでもその音楽の仕組みが理解されれば、より面白く聞けるのではないかと思います。
リゲティの音楽には、様々な音楽、それもクラシック音楽のみならず、ジャズ、ロック、民族音楽からの直接的な影響があり、また絵画や数学的概念からの発想もあり、実に多種多様なアイデアに満ちています。
リゲティの代表的な作品に、「100台のメトロノームのためのポエム・サンフォニック」というものがありますが、これは、100台のメトロノームが同時にそれぞれ異なるテンポで稼働し、当然その最初には聞き手の知覚できない状態であったのが、やがてねじの切れたメトロノームが1台停止し、その数が増えるにつれて、無秩序であったテンポが周期性を持って聞き取られるようになってくる、という作品です。このように、リゲティの音楽には、「機械性」がキーワードになることが多く、そこではルバートや、感情などの「人間的な」要素が、排除されたり、または非常なコントロールの下に置かれることが多いように思われます。
1970年代に、メキシコの作曲家コンロン・ナンカロウが創作していた「自動演奏ピアノのための習作」という作品群があります。これは、人間によっては演奏不可能なテクスチュアを、打ち込みによる自動演奏で再現したもので、リゲティはこの作品に触発されて、ピアノのための「エチュード」を創作していったといいます。エチュードの中にも、自動演奏ピアノで演奏されるバージョンを持つ曲もあり、人間と機械の表現できる範囲についてもこの作品は問いかけているようです。
まさに、SF映画で、ロボットが人間を支配するような時代=「現代」でしか生まれなかったような音楽なのですが、この創作背景には、リゲティ自身も過ごした世界大戦での経験、というのも関係しています。死と生が隣り合わせの、非人間的な生活というのは、精神を極限まで蝕むものでした。そうした面が、この過酷なエチュード集から垣間見えてくるようです。
第1巻が全6曲、第2巻全8曲、第3巻が4曲あり、リゲティの死によってそれ以上は作られないままになりました。今回は、第1巻の4曲を演奏します。
- 第1番“無秩序”
8ビートを、3と5のパルスで構成したリズム×4という基本のパターンが繰り返される。しかし、4つ目で7ビート、つまりひとつ分パルスが抜け落ちるために、1ブロックごとにリズムの打点が1パルスずれていくという
アイデアに基づいている。限りなくスローモーションで音の流れを終えば秩序が追えるはずだが、実際はテンポの非常な速さのために、聴取できないという状態を生み出す。
リゲティは、アフリカの打楽器奏者たちの合奏でポリリズム(異なったリズムが同時にある)を聞き、それをこのエチュードの下地としている。
- 第3番“妨げられた打鍵”
左手で鍵盤の一部を押さえ、その部分を「ミュートした」状態にした上で、右手が非常に速い無窮動的なパッセージを奏する。しかしミュートした音は当然音を出すことができないので、結果としてその右手のパッセージにいくつかの「穴」の箇所が生まれる。押さえられる鍵盤も刻一刻と変化するので、非常に不規則な音の並んでいく様子を聞き手は聴取することになる(楽曲の冒頭には「吃っているように」と指示されている)。
- 第5番“虹”
非常にゆったりとしたテンポの中に、異なるアクセントを持った4つの声部が共存する音楽。Cのセブンスコード(それは4つの音で構成される)が基調で始まるが、それぞれバラバラに散らばったり、また収束したりと、まるで即興のように音のたゆたうさまが聞かれる。
- 第6番“ワルシャワの秋”
これも第1番のエチュードとアイデアは似ており、一定のパルスの中に別のパルスが挿入される、というスタイルの音楽。だが、こちらはパルスの組み合わせが次々と変化し、更には次々に別のパルスが重なっていくというもの。同時に3つも4つも異なるテンポが共存している、「イリュージョンを見るような」状態である。
曲は「私のポーランドの友人たちに」捧げられており、多くの人々の声が、次第に不気味に重なってくるようだ。
ウクライナの作曲家、
ニコライ・カプースチン(1937〜2020)は、ジャズとクラシックを融合させた、独自の作風で、現代のクラシック音楽の世界に新風を吹き込んだ作曲家です。
カプースチンの音楽は、リゲティなどの「難解な」現代音楽とは一線を画し、聞きやすい音楽ですが、一聴すると、とてもこれが譜面に書いてあるものとは思えないほど、ジャズ的なビート感やハーモニーにあふれています。しかしより重要なことは、それらのジャズ的イディオムを駆使しながら、クラシックの堅固な構成力を備えた楽曲が完成した、ということなのです。
本日演奏するエチュードは、どれも分析すると、可笑しくなるほどクラシックの規則に則って書かれ、伝統的な形式美を備えた楽曲です。つまり、譜面に記されていないように見える音楽でありながら、実際は譜面でしか表現されようのない音楽となっている。一見、ジャズ的な風情を持っているけれども、これは紛れもなくクラシック音楽、しかも非常にアカデミックな類のものだと思います。
カプースチンは、モスクワ音楽院のピアノ科を卒業しているし、もともとはクラシックの畑の人物でした。音楽院卒業後は「ジャズ」の世界で活動を繰り広げるのですが、それでも、根っからの「ジャズマン」というわけではなかったでしょう。
ジャズ、というのは、ある意味では、より前衛性をまとうジャンルであり、プレイの中でそれまで持続してきたものを断ち切ったり、積み上げたものを破壊するような感性も重要と思いますが、カプースチンにはそうした面はほとんどないように見えます。彼は、そのような乱暴なことはできなかった。提出したあるフレーズの記憶が、最後まで途切れずに、音楽の集中を持続させていくこと、そうしたクラシカルな方法で音楽を作ることが、彼の元来からの素質だったのです。
「8つの演奏会用エチュード」は、すべて明確な調性を持ち、作曲者によれば、「よく熟慮された全体の調性構造」(C-As-e-H-D-B-Des-f)に基づいているそうです。すなわち8曲を通して弾くのが想定されたプランですが、今回は私なりのイメージを膨らませた上で、5曲のエチュードを抜粋して演奏します。
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第1曲“前奏曲”
ハ長調。序奏につづき、サンバ的なノリを持った主要楽節となる。これは全22小節のコーラスであり、間奏(序奏に基づく)を挟んでもういちど繰り返される。バンドでいう「ソロ・パート」の部分であり、即興的な(しかしすべて楽譜に書かれた)パッセージが展開していく。
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第2曲“夢”
変イ長調。A-B-Aという構成となっており、Aは主調でゆったりとしたテンポのロック、Bはハ短調で速いテンポのワルツとなる。実際は倍速(doppio movimento)で、基本となる音価が変わるのみだが、リズムの躍動感は全く異なるものとなっている。作曲者によると、「リストのエチュード"鬼火”のように」とのこと。
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第5曲“冗談”
ニ長調。ブルース(ジャズの基本コード進行のひとつ)のスタイルで書かれている。ワンコーラスは12小節で、計8回繰り返される。バスラインはブギ・ウギのリズムで終始貫かれているが、5コーラス目には一度中断され、ビックバンドの総奏(tutti)のような部分が設けられている。
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第7曲“間奏曲”
変ニ長調。「ストライド・ピアノ」(強拍のベースと、その後に続くコードを1セットとする伴奏音形を持つ)のスタイルで書かれている。タイトルのとおり、緩徐楽章的な性格を持って開始されるが、徐々に「3度のエチュード」(ピアノの重要なテクニックのひとつ)風のパッセージが挿入され、テンポも倍速(doppio movimento)のスピードへと変化していく。構成としては、序奏―A―間奏―A’―コーダ。
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第8曲“終曲”
ヘ短調。「プレスティッシモ」という速度表記は、クラシック音楽では曲の大詰めの部分くらいでしか見られないが、この曲は最初から最後までそのテンポで通される。まさに息もつかせないような性格の音楽だが、作曲者は「不完全なソナタ様式による」と述べており、構成としては最も堅固なものが採用されている。ちなみに、全曲中この曲がもっとも早く作曲され、主題の1つが、後に第2曲“夢”の中間部分に転用されることになった。
2024.11.29
入川舜
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