Essay
エッセイ | ジェフスキ:不屈の民
2025.01.17 ブログより
入川舜ピアノ演奏会~「不屈の民」を弾く
2022年度青山音楽賞(青山賞)受賞記念演奏会
2025年1月18日(土)
@青山音楽記念館バロックザール(京都市)
ライブ音源
今度(というか明後日)弾くジェフスキの「不屈の民」変奏曲は、36の変奏があって時間も1時間くらいかかる。
聞く人によっていろいろな聞き方があってよいし、むしろこういう曲には「マニア」みたいな人もいて、インターネットには専門家にもひけをとらないほど詳細な解説も載っている。
ここでは、事実を述べるのではなくて、私が現在のところ、どのようなイメージでこの曲を感じているか、ということについて書きたい。もしかしたら非常に個人的な視点でこの曲を語ることになるので、一長一短でもあるが、ここまでいろんなものが入り混じった変奏曲をいきなり聞いても、ただ翻弄されることになるので、あまり難しいことは書かずに説明しよう。
これを読んでくださる方に、なにかインスピレーションが湧くことを願って。
それは、今から50年前くらいに南米のチリで暮らしていた民衆たちの話だ。
ある1日、彼らの過酷な暮らしがはじまる。
朝日、岩、大地、とても静かな時間。
平和はすぐに脅かされる。弾圧する側がやってくる。
彼らは手を取り合って抵抗してゆく。
次第に対立は激しくなって
「死」が生まれる。銃声によって、それともナイフによって?
日中は、太陽の光さえ焼け付くようにギラギラしている。
人々は行き交う、様々な思いを胸に秘めて。
その時、遠くからやってきたのは
民衆たちの指導者である。
彼は、大声を上げたり、かといえば
黙り込み、口笛など吹いたりする。
その奇矯な振る舞いを、人々は崇めている。
夜、束の間の休息の時。
人々は食べて、酒を飲み、歌を歌う。
段々と皆、酩酊して、眠り込んでいった。
夜はますます深くなって、不気味さを増していく。
そこに聞こえた勝利の歌!あれは幻覚だったのだろうか…。
皆、明日はどうなるのかも知らずに。
さあ、戦いが始まる。
武器などはない。あるのは、結束だけだ。
相手は、潤沢な資金と、高度な情報網を持っている。
負けるのは、目に見えている。
それでも、彼らは抵抗を続ける。
なぜ?それは、彼らの命を投げ出しても、守らねばならないものがあるから。
彼らの生きた時代よりもずっと後。
私たちの生きる時代にも、権力があって、それに抗う人たちはいる。
生きる場所が違って、政治が違っても、同じような構図がある。
世界は、結局弱肉強食で、平等などというものはない。
でも、そこに飲み込まれずに、小さな声を上げること、それが、自由を求めることだ。
抵抗をする人々よ、手を取り合おう。
一人では、何もできないのだから。
過去から未来へ、歴史はつながっている。
不屈の民の行進も、続いている。
2025.01.17 Friday
入川舜
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